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ステレオ黎明期①

自分のホームページの方にマルチアンプについて書いていたら面白くなってきたのでブログにも併載します。
昭和40年代初めのことを書くと年寄りに思われるかも知れませんが、当時私は小学生です。小学生がマルチアンプをわかっていたと書くと嘘つきと思われるかも知れませんが、まずは思い出話から綴ります。回顧録みたいなものですから記憶違いはお許しください。昭和40年代初めは一般家庭には、ステレオでレコードを聴くには良くて足の生えたTVよろしくスピーカーとレコードプレーヤーとアンプとラジオが一体化したアンサンブルステレオと呼ばれるものがありました。よくNHKの朝ドラなどに映っているものです。そうですね、雑誌などでは音楽の友あたりに、広告が出ていました。これは学校の図書室にあったから覚えています。この音楽友社の出版物はオーディオ系雑誌としては歴史がありますね。今でも人気のSTEREO誌、週刊FMもそうでした。この時代は黎明期ですから音が良いという基準は、低音が出るとか、高音が出るとかはラジオと比べてという時代です。凝ったものではスプリングエコー搭載で確かパノラマサウンドを謳っていたような記憶があります。蓄音機+ピックアップ(PU)で電蓄です。おしゃれなラジヲには、PUという入力があったくらいですから、ラジオでレコードを鳴らすから、ようやく抜け出した音は当時としては驚きだったと思います。このころ大人だった人は今でも、舶来品が良いと思う理由はこの辺だと思います。黎明期ですから、まだまだ町のもの作りのできる電気屋さんや自作家が幅を利かせていた時代です。そういえばそれ以前の大昔から技術雑誌もラジオがついていました。ラジオ技術、初歩のラジオ、ラジオの製作、電波科学、無線と実験など、とにかくラジオ、無線といったものが、長らく最先端なものでした。秋葉原もラジオ会館、東京ラジオデパートなどラジオです。ラジオ少年も、懐かしい形容です。このころはまだ真空管主流の時代でした。トランジスタラジオが普及し始めた時代です。ですから大きな電力(パワー)を扱うといっても10W前後には、トランジスタは無理な時代でした。大体、昭和39年の東京オリンピックのPAに使うために6GB8という球が東京芝浦電気が開発した後ですから、半導体化にはまだまだの時代です。意外かと思われるかも知れませんが、オリンピックのPAが日本無線株式會社だったりします。前述の技術雑誌(子供向け含め)がラジオや無線を冠していたことからも頷けます。大きくて重いものは良かった時代です。トランジスタグラマーとは小さくても高性能な東洋通信工業のトランジスタラジオが語源のようですが、下世話な話ですが小柄な日本人女性でもバストなどの大きな体形を表すことに使われる場合が一般的だったでしょう。子供の頃の記憶は大人が創ります。ですから今で言う巨乳な人を指さして、私の周囲大人がトランジスタグラマーなどと言っていたのでしょう。昭和も40年台半ばになると前述のアンサンブル型から豪華家具調のセパレートステレオなる3点式ステレオが登場します。これがまた紛らわしい名称です。あとからも述べますがオーディオ造語は厄介です。左右のスピーカーと中央のコンソールボックスにレシーバー(のちのチューナーアンプ)と天板の中にレコードプレーヤーが乗り、下の扉にはレコード収納がありました。これは多くの家庭に普及したいわゆるステレオです。当時自宅にあったのはこれではなく、アンプとプレーヤーとスピーカーの単品、同級生の目には安物と見えたのは言うまでもありません。アンサンブルやセパレートと聞いて思い出すのは女性の服装や水着またそちらに来ました。いやそうではありません。合奏のアンサンブル。セパレートと言えばプリメインアンプに対してプリアンプとメインアンを別々に使うセパレートです。
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